2005年 03月 07日
Co
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先週、今週の土日で県文化センターが主催する水と油のワークショップに参加した。
これまでから興味のあったコミュニケーションツールとしての「身体」について、次回作で現時点での決着をつけたいと思っていたところだけに、非常に興味深い内容で楽しめた。社会が変容してゆく中で、おなじコミュニケーションツールの「言葉」が変化してゆくのはよく言われることだが、「身体」もまた同様に変化し続けている。
クラシカルなダンスや伝統的な演劇では、表現形態が完成されているため「身体」のあるべき形は「型」によって大きく規制されている。これでは「現代の身体」が表現しきれないのではないかというのが私のスタンスだ。関係性が変化しても、それをとりもつ「言葉」が追いつかずに人々が混乱している、みたいなことをよく平田オリザさんが言っているが、「身体」もまたそうだろう。
「新しい身体」に対応した「新しい演劇」の形を、創り出したい。
難しいんだけど。
これまでから興味のあったコミュニケーションツールとしての「身体」について、次回作で現時点での決着をつけたいと思っていたところだけに、非常に興味深い内容で楽しめた。社会が変容してゆく中で、おなじコミュニケーションツールの「言葉」が変化してゆくのはよく言われることだが、「身体」もまた同様に変化し続けている。
クラシカルなダンスや伝統的な演劇では、表現形態が完成されているため「身体」のあるべき形は「型」によって大きく規制されている。これでは「現代の身体」が表現しきれないのではないかというのが私のスタンスだ。関係性が変化しても、それをとりもつ「言葉」が追いつかずに人々が混乱している、みたいなことをよく平田オリザさんが言っているが、「身体」もまたそうだろう。
「新しい身体」に対応した「新しい演劇」の形を、創り出したい。
難しいんだけど。
by O_pelican
| 2005-03-07 12:28
| 創作ノート