2014年 12月 28日
12月27日(土)劇王終わりました
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山形に行ってきた。SENDAI座の公演で川西フレンドリープラザでやったことはあるが、山形市では初の公演だったのでこうして山形で公演できたことに対し非常に感激だ。運営してくださった山形のみなさん大変お世話になりました。結果については3位と惨敗であったが、劇作家協会東北支部のみなさんのバラエティ豊かな芝居を拝見し、その後色々お話もでき、坂手さんやマキノさんや林監督にご挨拶もできと大きな収穫のあった2日間であった。
自分の芝居については、まぁ結果はどうあれよくできたと思っている。再演だったため、演出家として戯曲に向き合う時間が多くとれたことが良かった。講評の中で坂手さんから「物語を必要とする人にとって、物語は重要である」といったようなテーマの解読をいただいたのだが、まさにその通りの設定だったので、そこが通じたことがなにより嬉しかった。
物語を要約すると、深夜のラジオから流れるおかしな臨時ニュースを聞いたコンビニアルバイトとスナックのホステスとおっさんの三人がなりゆきから海辺で睡眠薬(?)自殺するのだが、日が昇るころ普通に目が覚め、自殺を誘導したホステスもいなくなっており、「あれはなんだったんだろう?」と思う、という話を聞いた別のアルバイトがいい話を聞いた気に勝手になり、上機嫌に歌を歌ってしまう、というお話だ。
ラジオの電波は放送が終わった後も空気中に漂っており、なにかの拍子で過去の放送を受診してしまうことがある、という話を何かで読んだことがきっかけでできた話だ。ありもしない放送を聞き、それがその人たちにとってはとても重要でなにかの共感が呼び起こされる。よくよく考えればあり得ないのだけれど、そこに強固ななにかが存在することもある。そんなことを考えて書いたので、坂手さんのお話がまさに「言い得て妙」だった。
これを書いたのは8年前なのだけれど、震災を経てこの物語は私の中でまた違った意味を帯びた。震災直後に上演した「キル兄にゃとU子さん」の中で私は「遠野物語」を引用したのだが、それは津波(遠野物語なので明治の大津波)で妻を失った男が深夜に厠に行ったところ死んだはずの嫁が浮気していたのを目撃してしまうというお話であった。それとの親和性を感じたのだ。遠野物語を読んだのは震災以後で「ウエスト
…」を書いた時にそれは知らなかったのだが、このことは「物語を信じても良い」というテーマに自分自身が気づく良い機会となった。これは次作以降の自身の作品の方向性となることだろう。
今回もまた、自分の戯作・演出の詰めの甘さが現れた結果で、こうした重要なテーマについても終わってから整理がつくという怠惰ぶりではあるが、とにもかくにも「演劇の美しさ」を信じて追求したいと思う年の瀬である。
東北代表となった清水司さんの「戯れ」は、自分の発表の直前だったため唯一ちゃんと見られなかった作品なのだが、オペ室で見ながらつい笑っちゃったくらいステキな上演だったので、ぜひ頑張っていただきたいと思っています。
東北演劇界、いやいや面白えじゃん。そう思った山形滞在でした。
なにより、あんな長時間(6時間!)見届けていただいたお客さんにありがとうですね。
代表を絞れなかった福島のせいなので、それは本当にすみませんでした。
これからも色々迷いながら精進したいと思います。匆々。
自分の芝居については、まぁ結果はどうあれよくできたと思っている。再演だったため、演出家として戯曲に向き合う時間が多くとれたことが良かった。講評の中で坂手さんから「物語を必要とする人にとって、物語は重要である」といったようなテーマの解読をいただいたのだが、まさにその通りの設定だったので、そこが通じたことがなにより嬉しかった。
物語を要約すると、深夜のラジオから流れるおかしな臨時ニュースを聞いたコンビニアルバイトとスナックのホステスとおっさんの三人がなりゆきから海辺で睡眠薬(?)自殺するのだが、日が昇るころ普通に目が覚め、自殺を誘導したホステスもいなくなっており、「あれはなんだったんだろう?」と思う、という話を聞いた別のアルバイトがいい話を聞いた気に勝手になり、上機嫌に歌を歌ってしまう、というお話だ。
ラジオの電波は放送が終わった後も空気中に漂っており、なにかの拍子で過去の放送を受診してしまうことがある、という話を何かで読んだことがきっかけでできた話だ。ありもしない放送を聞き、それがその人たちにとってはとても重要でなにかの共感が呼び起こされる。よくよく考えればあり得ないのだけれど、そこに強固ななにかが存在することもある。そんなことを考えて書いたので、坂手さんのお話がまさに「言い得て妙」だった。
これを書いたのは8年前なのだけれど、震災を経てこの物語は私の中でまた違った意味を帯びた。震災直後に上演した「キル兄にゃとU子さん」の中で私は「遠野物語」を引用したのだが、それは津波(遠野物語なので明治の大津波)で妻を失った男が深夜に厠に行ったところ死んだはずの嫁が浮気していたのを目撃してしまうというお話であった。それとの親和性を感じたのだ。遠野物語を読んだのは震災以後で「ウエスト
…」を書いた時にそれは知らなかったのだが、このことは「物語を信じても良い」というテーマに自分自身が気づく良い機会となった。これは次作以降の自身の作品の方向性となることだろう。
今回もまた、自分の戯作・演出の詰めの甘さが現れた結果で、こうした重要なテーマについても終わってから整理がつくという怠惰ぶりではあるが、とにもかくにも「演劇の美しさ」を信じて追求したいと思う年の瀬である。
東北代表となった清水司さんの「戯れ」は、自分の発表の直前だったため唯一ちゃんと見られなかった作品なのだが、オペ室で見ながらつい笑っちゃったくらいステキな上演だったので、ぜひ頑張っていただきたいと思っています。
東北演劇界、いやいや面白えじゃん。そう思った山形滞在でした。
なにより、あんな長時間(6時間!)見届けていただいたお客さんにありがとうですね。
代表を絞れなかった福島のせいなので、それは本当にすみませんでした。
これからも色々迷いながら精進したいと思います。匆々。
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by O_pelican
| 2014-12-28 22:45
| 鳥王in劇王