2006年 06月 01日
6月1日(木)リアルっていったいなんだーい
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まるで衣替えを待っていたかのような快晴。とても暖かい。
この間の稽古で、次回作の参考にとSCOTの「エレクトラ」を見せたら、役者の一人が明らかに面白いシーンではないのに(もっともSCOTの芝居はたいていの場合笑うようなシーンはありませんが)吹き出していた。そいつは「箸が転げてもおかしい」ヤング世代なので、普段からちょっとしたことでも笑い出し、たまにその様子が「キャパシティちいせえなお前」と思わせるものの、そのときは別にそう思わず、それを見てなんとなく「いいなぁ」と思った。
「笑ってしまう」という行為は、すなわち「ついて行けない」という感情の表現だ。「リアルじゃない」と言い換えてもいい。そのとき、作り手が観客に対し、そういうことを表出することであえて「笑われる」ことをねらいとして、批判的に作品づくりをしているのなら良いのだが、たいていの場合そうじゃないので悲劇が起こる。
リアルとは決して写実的であるということではない。その芝居の表現方法が有効かどうかを計る指針なのだ。つまらない芝居の原因は、作り手が彼らの表現方法に対して、有効だと思いこんでいる点にある。これを疑わなくなったらおしまいだ。そんな芝居の客席には観客の我慢が充満している。演出家は客席の一番後ろの席で、舞台ではなく観客の頭を見続けるべきだ。その芝居のどこが面白く、どこが面白くないかは観客の頭の動きを見ていたら一目瞭然だから。
ソフォクレスの「エレクトラ」を読んで、正直わたしは「ムリだ」と思った。この成立した戯曲を舞台上で成立させる自信が持てなかった。わたしは今回、原作の「エレクトラ」と格闘しながら、翻案を行っているが、それはつまり、「エレクトラ」を我々が現代に再生させるための格闘なのだ。
この間の稽古で、次回作の参考にとSCOTの「エレクトラ」を見せたら、役者の一人が明らかに面白いシーンではないのに(もっともSCOTの芝居はたいていの場合笑うようなシーンはありませんが)吹き出していた。そいつは「箸が転げてもおかしい」ヤング世代なので、普段からちょっとしたことでも笑い出し、たまにその様子が「キャパシティちいせえなお前」と思わせるものの、そのときは別にそう思わず、それを見てなんとなく「いいなぁ」と思った。
「笑ってしまう」という行為は、すなわち「ついて行けない」という感情の表現だ。「リアルじゃない」と言い換えてもいい。そのとき、作り手が観客に対し、そういうことを表出することであえて「笑われる」ことをねらいとして、批判的に作品づくりをしているのなら良いのだが、たいていの場合そうじゃないので悲劇が起こる。
リアルとは決して写実的であるということではない。その芝居の表現方法が有効かどうかを計る指針なのだ。つまらない芝居の原因は、作り手が彼らの表現方法に対して、有効だと思いこんでいる点にある。これを疑わなくなったらおしまいだ。そんな芝居の客席には観客の我慢が充満している。演出家は客席の一番後ろの席で、舞台ではなく観客の頭を見続けるべきだ。その芝居のどこが面白く、どこが面白くないかは観客の頭の動きを見ていたら一目瞭然だから。
ソフォクレスの「エレクトラ」を読んで、正直わたしは「ムリだ」と思った。この成立した戯曲を舞台上で成立させる自信が持てなかった。わたしは今回、原作の「エレクトラ」と格闘しながら、翻案を行っているが、それはつまり、「エレクトラ」を我々が現代に再生させるための格闘なのだ。
by O_pelican
| 2006-06-01 13:04
| 創作ノート